世相

昭和25年、給食に出て来たコッペパンは空腹は満たしてくりましたが、舌を満足させてくれる代物ではありませんでした。8月14日、文部省が8大都市のパン給食の完全実施を発表しましたが、上質な小麦から作る現在のパンとは比べられるもうな代物ではありませんでした。それでも昼食になると間違い無く食事にありつくことができ、以前はクラスの数人は昼食用のイモ弁すら持ってくることができず、昼休みを校庭ですごす都会っ子も居ましたから、贅沢を言える状況ではありませんでした。コッペパンと脱脂粉乳を溶いたミルクの組み合わせは、最悪とも言える食事でしたが、実施にはガリオア資金の援助によりようやく成立したものでした。戦後の食糧難から生まれた価格統制や配給制度の対象品目の中から、パンをはじめとして魚、木炭、出版用紙、綿製品などが撤廃されることになりました。都市の人々は空閑地を利用して野菜等の食糧作りが盛んであり、自給自足にはほど遠いものの、この撤廃品に見るように前途にいくらか明るい光が見えだした年でもありました。前年に引き続いてドッジ・ラインによる労働状況の厳しさは相変わらずでしたが、とりわけ中小企業の不況は目を覆うものがありました。こうしたさなかに蔵相池田勇人は一部中小企業の倒産も止むなし、といった趣旨の発言をしたために世論のいっせい砲火を浴びるはめとなった。しかし昭和25年は、戦後の日本社会にとって最もインパクトとなった戦争が隣国朝鮮半島で勃発しました。この年の6月に始まった朝鮮戦争は休戦した28年7月までの3年間に200万人以上の犠牲者を出す悲劇的な戦闘でしたが、日本の社会生活では一種のカンフル剤的な役割を果たす結果となりました。それは第二次世界大戦の際の生産整備の破壊からくる物不足、食糧難、インフレ、雇用機会の喪失などの混乱を蘇生させる需要。特需と言われる戦争関連の物資調達が日本の産業界を潤したのです。国連軍と北朝鮮軍の熾烈な戦いは、マッカーサーの解任などをはらみながら、繊維と機械、自動車産業を活性化させました。そして日本人の生活レベルも好転しはじめ、折からの講和問題に対しても、世論は単独講和へと傾斜していきました。

田舎暮らし

田舎暮らし

今、田舎暮らしを志向している人がかなりの数に上っているようです。この傾向は団塊の世代が定年退職を迎えている状況の中でますます続くと思われます。そして、ごく自然な人生設計の選択肢の1つとしてなっていくようです。田舎暮らしをしたい人の理由は様々で、最初からハッキリと理由が言える人は少数ではないでしょうか。いろいろな情報を収集したりしているうちに形になってくることもあります。雑誌やネット、あるいは公的機関でまめに情報を収集することが肝心です。年齢や経験、お金によっても様々ですが、育児に手のかからない、子供が独立した人や、生活習慣病とは無縁の健康に自信のあることが前提にできるということが有利と言えます。それに退職金や年金をあてにできるということも大切です。田舎暮しでは思わぬ出費も多くなりがちで、家計の負担となることもあります。住まいにしても借りるのか、買うのかによっても大幅にお金の掛かり方が違ってくるので要注意です。借りる場合は住まいの間取りがライフスタイルと違う場合があるので考慮しましょう。田舎暮らしではその土地によって習慣もまちまちなので、冠婚葬祭などが煩わしいと感じることもありますが、その地域に馴染むことが田舎暮らしを続けることができる要因です。

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